私の扉

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仕事も家庭も自分の歩幅で焦らず、ゆっくりでも、確実に一歩一歩あゆみたい…。
人生のいくつかのターニングポイントも自分らしく扉を開けていく。
そんな素敵なウーマンスタイルの会員さんをご紹介します。

File 002プランナー 岡本恭子さん

《プロフィール》
1956年福島県生まれ。河北郡内灘町で夫、娘と3人暮らし。東京で雑誌編集者として働いた後、28歳で結婚。29歳で夫とともに金沢へ。2男1女の子育てに奮闘しながら、主婦業に専念する。

'06年からは食品会社の外部プランナーとして活動を始める。'07年に、自らプロデュースした「イヴの茶会」を中 村記念美術館にて開催。アートと茶会を斬新に融合させた先進的な試みが注目を浴びる。回を重ねるごとに評価が高まり、すでにライフワークとなりつつある茶会をベースに、'10年春からはNPO活動を開始する予定。

岡本恭子さん
ある1日の過ごし方私のお気に入り

インタビュー

1年の準備が結実する「イブの茶会」は、石川アートに彩られた大人の美空間

2009年12月20日、今年で3回めとなる「イヴの茶会」が本多町の中村記念美術館で開かれました。雪の日にもかかわらず、続々と訪れる来場者たち。人々は館内に足を踏み入れた途端、驚きの表情を浮かべます。そこには、彫刻、器、花器、掛け軸…随所にあしらわれたアートが効果的な特殊照明に映し出され、独特の美の空間を創り上げています。

この日は薄茶席や濃茶席といった定番の茶席のほかに、紅茶席やギターとソプラノのサロンコンサートなど、遊び心溢れる企画もさまざまに用意されていました。たった1日ですが、ひとときの夢のような大人の遊び場。この独創的な茶会を企画運営した総合ディレクターが、岡本さんです。

作品を提供した美大教授、卯辰山工芸工房の作家、伝統工芸作家、県外作家の方々とは、すべて岡本さんが直接交渉。1年前から茶会の趣向や進行などの準備を積み重ね、広報までの一切を取りしきったのです。チームとして協力する方々も元学芸員やギャラリーチーフ、有名茶店オーナーと怱々たるメンバーばかり。「協力してほしい方々には直談判でお願いに行きました。茶道具も資金も持たない私が茶会を開くには、身体を張って誠意を尽くすしかありません」。茶会に賭けるこの岡本さんの思いのひたむきさ、情熱。それがどこから来るものなのかをじっくりと伺いました。

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東京から内灘へ専業主婦として3人の子育てに没頭する日々

岡本さんが結婚を機に内灘町に転居したのは29歳の頃。住んでいた東京・三鷹とはあまりにもギャップが大きく、海沿いの町の寂しい風景に思わず泣けてきたそう。

初めての積雪体験も強烈でした。当初は珍しく喜んだものの、やってもやってもまた降り積もり、キリがない雪すかしに呆然。「北陸の雪すかしには全く達成感がない。だから北陸の人は忍耐強いんだと納得しました」と岡本さん。

30歳から二男一女に恵まれましたが、脳神経外科の勤務医だった夫は激務に追われる日々。子育ては孤軍奮闘の連続でした。「近くに身内もいないし、公共の育児サービスも充実しておらず、頼れるのは仲良くなったママ友だけ。運動会などの学校行事には、子どもを背負い、両手にはビデオ・カメラを抱えて参加していました。あらゆる場合の対処法を考えながらいつも気が張っていて、心が休まらない時期でしたね」と当時を振り返ります。

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石彫と茶道との出会いが美への扉を開いてくれた

そんな彼女も一番下の娘さんが幼稚園に入ると、ようやく自分の時間が持てるように。学生時代に専攻していた彫刻を、金沢美大の市民工房で再開してみることにしました。「美大のアトリエに入った途端、全身の毛が逆立って身体が喜ぶのを感じました。その時、もの創りの現場が好きなんだ!と実感したんです」。講師の影響で、経験のあった塑像(粘土彫刻)から石彫へも挑戦。以来、公募展での入選も重ね、今では北國女流展の委嘱作家です。

そしてもうひとつ、岡本さんを虜にしたのが"茶道"。きっかけは、知人に誘われた茶会で全く作法を知らず、気恥ずかしい思いをしたことでした。「基本をマスターしたらすぐにやめよう」と気軽に習い始めた茶道が、その後の彼女の人生を大きく変えてしまったのです。

「お稽古では正座して心を集中させます。そんな時間を、私は久しく忘れていました」。美術、料理、文芸と日本の美学のすべてに通じる茶道の奥深さは、習えば習うほど岡本さんの好奇心を刺激します。

茶道によって金沢に息づく和文化のすばらしさに目覚めた岡本さん。


茶道関係の本を買い集め、寝る間を惜しんで勉強。懐石料理の勉強に「辻留」※の料理講座に通うなど、さらに知識を深めていきました。「気が付けば、茶道や伝統工芸が息づく石川にすっかり魅せられていた」と岡本さんは語ります。

(注※ 講座の場所は料亭辻留ではなく、淡交カルチャーセンターの辻義一氏の懐石料理講座)

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現代アートで創る茶会があってもいいじゃない

「茶会では、美しい時間と空間を人々が共有できる。」現代人は、大人が遊び刺激しあえる場を求めているという。

石彫制作を通じて、地元在住のアート作家との交流も広がっていった岡本さん。一方では、古くからの形式に囚われがちな茶道の世界に息苦しさも感じるようになっていました。「石川には優れた作家が大勢いる。彼らが魂と技を込めて制作している作品を、美との出会いの場である"茶会"の中で活かせないだろうか」。それも、かねてから優雅な佇まいに惚れこんでいた中村記念美術館を会場として。

「無名の主婦が大きな茶会を主催する」。この無謀とも思われる夢は、岡本さんの中でしぼむどころか、どんどんふくらんでいきました。そしてなんと、美大学長に直談判し協力をお願いしたのです。「石川のアートを今の時代に活きる形で発信したい!とにかくその一念を切々と訴えました。

最終的には『究極の大人の遊びをしませんか?』と。すると学長さんはその場で協力を快諾して下さったんです」。これを契機に多くの支援者を得て、その年の12月、岡本さんは見事に茶会をやり遂げました。

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世界レベルにある石川の工芸を現代に合った形で発信したい

プランナーとして実績を重ね、3回の茶会を成功させた岡本さんのこれからの目標はなんですか?との問いに、彼女は即座に答えてくれました。

「'10年春にNPO法人『COOL  KANAZAWA実行委員会』を発足し、石川の現代工芸、伝統文化をさまざまな形で国内外に発信していきます」。すでに具体的なアイディアやプランは溢れるほどにストックしているとのこと。「漆芸、陶芸、金工など石川の作家の技術は、まさに超絶技巧といえるほどの世界的なレベルです。それを身近な行政や市民が気づいていない。もしかしたら、他県から来た私だからこそ気がつけたのかもしれません。彼らは財政的に恵まれない厳しい状況の中で、高い技術を研鑽し続けています。今こそ行政や市民が支援者になって応援しなければ。私はそのための戦略やしくみ作りをお手伝いしたいと思っているのです」。

見知らぬ土地で懸命に子育てし、居場所を見つけ、さらに自分の可能性を社会に活かす道を模索し続ける岡本さん。20数年の軌跡を伺いながら、原動力は「挑戦し続けること」そのものにあるのだ、と気づかされました。

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岡本さんからウーマンスタイルのメンバーへ

人類は女性がいるから継続しているのです。 そのなかでも主婦は"生活のプロ"。
家事育児は大切な経験です。 主婦はもっと自分に自信を持っていいのです。
みなさんの意見を社会にどんどん発信していって下さい。

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わたしのお気に入り

作家さんたちとの絆

茶会を通して多くの作家さんとの出会いがあり、現在も絶えずコミュニケーションを続けている。その心意気を知るほどに、自分のモチベーションも高まるという。

石 彫

岡本さんが作るのはリアルではない抽象作品。「太古から存在する石に対峙しながら、ひたすら集中して磨き続けると、高揚感がみなぎってくるんです」。

さまざまな人との交渉や調整仕事が続くと、時には心が折れてしまいそうになることも。そんな時には、うち猫とたわむれる。「頭をからっぽにする時間も必要なんです」。


(文・写真 塩田陽子