《プロフィール》
1961年小松市生まれ。幼少の頃から中学1年まで、父の転勤に伴い、栃木、東京、愛媛、愛知と全国各地での暮らしを経験。地域による"言葉の違い"に目覚め、アナウンサーを志す。成城大学文芸学部国文科卒業後、北陸放送(株)(MRO)にアナウンサーとして入社。テレビのニュースキャスターなどで活躍後、’98年に退社。
現在は、北陸放送や野々市町のコミュニティFM「えふえむ・エヌ・ワン」など石川県内のラジオの仕事を中心に、式典・イベントの司会、ナレーターとして活動中。自他共に認める"パン好き"で、’00年・’08年には「パリのパン店巡り」にも出かけている。ライフワークは「石川の方言」。
インタビュー
“東京のアナウンサー”を目指して
ある時は、ゲストの話をさりげなく引き出し、またある時は、男性アナとの抱腹絶倒トークで、リスナーを楽しませてくれる上坂さん。ラジオから響くその声は、やわらかく、心地よく、なんともいえない安心感があって、聴いていると不思議と元気になってきます。そんな"元気の素"を日々、私たちに届けてくれる上坂さんが「アナウンサー」という職業を意識しはじめたのは高校生の頃でした。
栃木から東京へ転校した時に"栃木なまり"を笑われ、以来、言葉にコンプレックスがあったことに気づいたという上坂さん。「自分の言葉はヘンなのかな、とずっと引きずってて。それを克服したいという気持ちと、当時の若者文化をリードしていた深夜放送への憧れもあって、東京の大学に進学したんです」。
ご両親は「大学を卒業したら、教師に」との思いでしたが、上坂さんは進学するやいなや、放送部に入部。ラジオ局でアルバイトし、アナウンス養成講座に通うなど着々と準備を進めていきました。文化放送やニッポン放送の活気ある現場に接して「最先端の文化がある東京で働きたい」という気持ちも、ますます強くなっていったといいます。
就職活動では志望どおり、東京の放送局と出版会社、地元ではMRO一社を受験。MROに絞ったのは"ラジオ媒体"を持つ会社だったからです。「結局、東京の出版社とMROに合格。東京への未練はありましたが、父も賛成してくれた地元のMROに入社を決めました」。
日常の中に面白さを見つける。
入社すると、アナウンサーの猛特訓が待っていました。発声練習はもちろん、ニュース・天気予報の読み方、屋上から見えるものの3分間レポート、兼六園で観光客への突撃インタビューなど、基礎を徹底的に叩きこまれるのです。「"うぐいすの初鳴き"と呼ばれるデビューは生放送でのCMでした。上下の唇が離れないほど緊張して、唇破れる!と思ったぐらい」と笑う上坂さん。
落ち着いた姿からは想像もつきませんが、本番時には手足が震えるほどの上がり症。「それなのに、生放送で笑いが止まらなくなったり、インタビュー中に眠ってしまったり…先輩からは『まったく、気が小さいのか、大きいのかわからん』とよく言われてました」。
生番組では瞬時の理解力と判断力、長時間番組では持久力も求められるアナウンサーとしての日々。そんなハードワークの中でも、現場が大好きな上坂さんは取材になるべく同行し、自分の引き出しを着実に増やしていきました。やがて努力と実力が認められ、ニュースキャスターにも抜擢。傍からは意気揚々と見えた30 才の頃…転機がやってきたのです。
MROの人気ラジオ番組『げつきんワイド!おいね★どいね』生放送後のスタジオで。番組でコンビを組む長田哲也アナをはじめ、室照美アナ、大木文香アナと。
「周囲が期待する知識豊富な局アナと、本当の自分とのギャップに悩み、苦しくてたまらなかった時期でした」。当時、担当していたラジオ番組『日本列島ここが真ん中』もその一因。台本がなくライブ感重視の現場で、「人間力が試されている」と感じていました。
そんなある日、上坂さんに1通の手紙が届きます。紙切れのような無造作な用紙にはこう書かれていました。「道端に落ちているゴミでさえも、物語にできるアナウンサーになってください」最初は意味がよくつかめなかったそう。ところがしばらくして、その言葉がじんわりと心に効いてきます。「そうなんだ! 特別なことでなくていい、日常の中に面白いことはたくさんある。その面白さをすくい上げて話を広げていけばいいんだ」と。
“自分の仕事を俯瞰で見てみたくて…
「暮らしの中に面白さを見出す」。そのことに目覚めた上坂さんは「ネタ探しをしようと気負うんじゃなく、自分の知りたいことを掘り下げてこう」と、生活そのものを楽しむようになりました。仕事と生活との間に引かれていた見えない境界線もいつしか消え、イキイキと仕事ができるようになっていきました。
そして局アナとして15年を迎えた頃。ある思いが頭をもたげてきたのです。「仕事は充実しているし、居心地もいい。でも、このままでいいの?毎日のワークをただこなしてるだけじゃないの?と」。無性に自分がこれまでしてきたこと、今やっていることが、どんなことなのかを一度、俯瞰で見たみたくなったのです。
思い立ったら、行動してしまうのが上坂さん。何の不満もなかったMROを退社。あてどないフリーの生活に飛び込みました。「とにかく、自分の好きなことを思い切りやってみたかったんです。一人暮らし、英会話、旅行、それも、大好きなパンをテーマにした旅とか…」。
そう、上坂さんは大のパン好き。1年めには、お気に入りのパン屋さんで3ケ月間のバイト、2年めは「パリにパンを食べに行く」という目的だけの旅行も決行しています。旅行代理店の人にも『こんなお客さん、はじめて』と驚かれました」。のびのびと好きなことをやりながら、フリーアナウンサーとしての活動もスタート。これまでの知人・友人のネットワークを通じて、地域コミュニティFMのパーソナリティや、イベントでの司会など、少しずつ仕事の幅を広げて行ったのです。
「企画して動く」。新たな側面が開花。
フリー初のレギュラー番組を持つことになった「えふえむ・エヌ・ワン」では、企画・構成・選曲のすべてを担当。ゲストの人選から、取材交渉までも一手に引き受けることになりました。
「もともと取材好きだったので、全然苦になりませんでした。大好きなパンのコーナーを作って、県内のパン屋さん約100件を取材したり、当初から楽しみながら制作してましから」。この仕事では、MRO時代に身に付けた「面白がって生きる」精神を大いに発揮。上坂さんのもう一つの側面、ディレクター的資質が開花していったのです。「肩書きがはずれたら、全て自己責任。等身大の自分で勝負するしかないんです。会いたい、知りたい人には自分からぶつかっていきます。おかげで自分自身の本当の人脈を築くことができました」。
そんな上坂さんのフリー3年めには、退社したMROからも声がかかります。今では、ラジオ番組に欠かせない存在として、多くのファンを楽しませてくれています。上坂さんにとって、アナウンサーとしての心構えとは、どんなことなのでしょうか?「話すことより聞くことが大事。私にとって"聞くことは食べること"なんです。好きな人や好きなことばかりでなく、偏りなくなんでも聞きます。それがこの仕事の素材であり、栄養なんです」。
ライフワークとなった”ふるさとの言葉”
溌剌とした上坂さんにも、心がふさぐ時、思い悩む時があります。「決まって足が向いてしまうのが福光(現富山県南砺市)の畑です」。石川県との県境にある畑の持ち主は、MROの元敏腕女性ディレクター。その方との仕事をきっかけに、方言をテーマにした看板コーナーを長年担当することになり、"石川の方言"は上坂さんのライフワークとなっていきました。
「方言がコンプレックスだった私に、ふるさとの言葉の大切さを気づかせてくれた心の恩師です。この方に褒められたくて、ここまで来られたような気がします。『泣きたくなったら、来ればいい』と、おいしい食事で迎えてくれる場所・人を持てる自分は幸せ」。上坂さんはしみじみとそう語ります。肩書きや年齢を超えてつながる人と人。その絆を深め、太くしていったのは上坂さんの"人間力"なのでしょう。
一方で「自分を刺激する場所も必要」と、異業種交流にも積極的です。そのひとつがウーマンスタイル。
「自分の身の丈に合ったことで自己表現しようとしてる女性がこんなにいるんだ!と知りました。交流会では、そんな方々との出合いが広がって、すごく楽しいですね」。さまざまな居場所を多方面に持つことが、人としての幅を広げるという上坂さん。
今後目指すのは、なんと「80才のテレビキャスター」だとか。「80才になったら、テレビに映るシワも気にならないし。方言でバンバンしゃべる元気なおばあちゃんキャスターなんて、楽しくないですか?」。もちろん楽しいし、パワーがもらえそう。見る人を心の底から笑わせて、ほんわかと温かい気分にさせてくれる、そんな"おばあちゃんキャスター"が目にありありと浮かんできました。
ある1日の過ごし方
- 07:30
- 起床、朝食
- 08:30
- 入浴
- 09:30
- 準備、移動
- 11:00
- MROへ、ナレーション録音
- 12:00
- 昼食
- 13:00
- ラジオ生放送本番
- 16:00
- 移動、休憩
- 19:00
- イベント打ち合わせ
- 20:30
- 夕食
- 21:00
- 入浴
- 22:00
- 読書などリラックスタイム
- 24:00
- 就寝
わたしのお気に入り
ユーミンのCD
思春期の頃から聴き続けてきた大好きなアーティスト。季節毎に編集された4枚組CDは、1年中楽しめる究極のベスト。楽しい時も悲しい時も聴いてしまうのだとか。
ドイツの入浴剤
ハーブの香りに癒されながら、新陳代謝を高め、美肌にも効果抜群の入浴剤。1日2回は入浴タイムを楽しむ上坂さんのリフレッシュアイテムです。
詩集
落ち込んだ時に読む『ぼくは12歳』。鋭く自らの内面を見つめる姿勢に「まだまだ自分は甘い」と励まされるのだとか。詩集は、凝り固まった視点を変化させてくれるそう。